2018年02月18日

雪の妖精 プロローグ

 灰色の空から落ち来る、指先に乗るくらいの結晶。凍る地面に降り積もり、いつしか硬い道となる。そして温かな風が吹く頃に、消え去っていく。
 大陸にまだ大きな国ができていなかった昔、人々が争い生きる場所を勝ち取ろうとしていた時代。そんな生き方をした、一人の女性がいた。彼女の名前はほとんど忘れ去られたが、今でも存在は伝えられている――「雪の妖精」という呼び名で。
 伝わる物語はすでに真実ではなくなっている。彼女は神性化され、美しさと奇跡だけに飾られている。どんな書物を紐解いても、彼女の全てを知ることはできない。
 けれどもたしかに彼女は生きた。ひとりの逞しい人間として、この北の大地に。


 * * *


 映画監督を名乗る男が面会を申し込んできたのは、この国で一番寒い時期だった。最低気温は今シーズンの記録を更新し、道の脇には雪が積み固められている。春はまだ遠そうだ。
「あなたはヴィオラセント家の末裔なのでしょう。何か知っていることはありませんか」
「知りませんね。そもそも俺は養子ですから」
 縋るような彼の言葉をばっさりと切り捨てて、ノーザリア王国軍大将ダイ・ヴィオラセントは口元だけで笑った。本来、このような人物と会うこともない。面会を許可したのは、一応彼の名前を知っていたからだ。
 この映画監督は、これまでに数々の作品を世に送り出してきたが、どれも大きくは流行らなかった。けれども作風は古典的な絵画のような美しさを持っていて、その映像美に惚れ込むコアなファンがついている。ダイの養母もその一人で、一緒に彼の映画を何本か観たことがあった。もっとも、ダイには退屈だったのだが。
 その美しく退屈な映画を作る人物が、大作に着手したいという。それにはどうしてもダイの協力が必要なのだそうだ。映画なんて勝手に作ればいい、と最初は思ったのだが、彼の持つ理由を聞いて、直接会う気になった。――会って、断ろうと思ったのだ。その作品は完成させることができないと思ったし、だからといって勝手なことを描かれても困るのだった。
「過去の記録などに心当たりがあるということも」
「ありません。記録がかつてあったとしても、焼失している可能性が高いかと。ヴィオラセント本家は大昔に燃えてしまいましたし」
 ダイが生まれるよりもっと昔のことだ。このノーザリアという北国にあったヴィオラセントという名の家は、火事でなくなってしまった。そのとき生き残ったたった一人の子供も、四十の頃に亡くなっている。ダイはその生き残りの名前を継ぐ養子で、そのことは多くの人が知っている。
 ただ、全く血縁がないというわけでもない――ということは一部の人間だけが知る真実だ。ダイが生まれたホワイトナイト家は、血筋を辿ればヴィオラセントの分家だった。つまり、遠い親戚なのである。しかし件の映画監督はそれを知らないはずだった。
「本当に、何も遺っていないのですか。お父様から、何か聞いていたことも」
「ありません。ですから、ヴィオラセント家の映画など作れません。諦めてください」
 映画監督は肩を落とす。おそらくは自分でできうる限り手掛かりを探し、最後にここに頼ったのだろう。可哀想だが、こちらから提供できるものは何もなく、そして勝手にヴィオラセント家のイメージを作られるのも避けたかった。あんまり綺麗なものを作られてしまっては、ダイが今後動きにくくなる。自分のやりかたがけっしてクリーンであるとはいえないことは、自らが一番よく知っている。
 メディアの作りだすイメージは強い影響を及ぼす。面倒はごめんだ。
「でも、私は描きたいのです。『雪の妖精』を」
 拳を強く握り、ダイを真っ直ぐに見て、映画監督はなおも訴える。簡単には引き下がらない。彼は自分の人生を賭けている。流行りはしなかったかもしれないが、映画はひとつひとつが彼の命だった。――だからこそ資料がないままに描くのは諦めてほしいのだが。
 どうか諦めてお帰りください、と言って引き取ってもらおうとしたときだった。扉が先に開いて、青年が何の断りもなく応接室に入り込んできた。
「お茶のおかわりをお持ちしました」
「お前……。せめてノックはしろよ」
「あ、すみません。ついいつもの癖で」
 呆れるダイに、青年は舌を出してみせる。客の前だというのに随分砕けた態度に、映画監督はぽかんとした。
「部下が失礼をいたしました」
「いいえ。ノーザリア軍にも、こんな方がいらっしゃるんですね」
「あはは、監督、軍を買いかぶってますよ。これがノーザリア軍の通常運転です」
 ティーカップを置き、青年は気楽に笑う。ダイが睨むのも気にならないようだ。
「あなたは、私をご存知なのですね」
「知ってますよ。俺、監督の映画好きですから。あ、あとでサインもらえます? ウーノ・スターリンズ君へ、って入れてくれると嬉しいです」
「ウーノ、いい加減にしろ」
 とうとうダイが強めに叱り、青年は口を閉じる。表情はどこかいたずらめいたそのままに。映画監督は少し考えてから、もしや、と青年に向き直った。
「あなたは、スターリンズ前大将の」
「はい、息子です」
 あっさりと頷いた青年に、映画監督の目が光った。ダイは額を押さえ、しまった、と内心で呟く。ヴィオラセント家の記録はないが、こちらは現存するはずだ。
 ヴィオラセント家とスターリンズ家は縁が深い。スターリンズ家には代々伝えられている記録があり、そこから窺い知ることができる過去がある。そのことに、映画監督も思い至ったようだった。
「あなたは知りませんか、『雪の妖精』についての物語を。彼女の真実を」
 青年――ウーノに掴みかかるようにして、映画監督は問う。ウーノは目を丸くし、それから。
「真実かどうかはわかりませんけど、その人についてならうちに少しばかり記録があります」
 正直にそう答えた。
「監督、ずっと撮りたかったんでしょう。色々なインタビュー記事も読みましたから、知っています。『雪の妖精』に恋焦がれ、けれどもその本当の姿が掴めなかった。いよいよヴィオラセント姓の人間に直接当たってきたということは、今作を最後にするつもりですね」
 ウーノはダイよりもずっと彼と彼の作品に詳しいようだ。自分が生まれる前の映画や関連する情報も把握しているのだろう。映画監督はただただ頷いていた。
 ダイに振り返り、ウーノは微笑んだ。
「俺、この人の作品が観たいです。きっとダイさんに悪いようにはなりません。うちから記録を提供してもいいですか」
 問いながら選択肢を用意しない、そんな強引さは父譲りで、同時にウーノを部下として育ててきたダイの影響でもある。それを認めているからこそ、ダイは深いため息とともに、返事をした。
「……わかった、制作は許可する。スターリンズ家からの記録提供も。けれども公開については改めて話し合おう」
「わあ、横暴。ね、監督、ヴィオラセント家の末裔ってこういう人なんです。だからもし『雪の妖精』について理想と違うことがわかっても、絶望したりしないでくださいね。それだけ約束してください」
 同じ微笑みを、ウーノは映画監督にも向けた。

 とはいえ、スターリンズ家に残っている記録もごく僅かなものだった。ヴィオラセント家と縁があるといっても、「雪の妖精」について記述があるものは限られる。なにしろそう呼ばれていた人物が生きたのは、約五百五十年前のことだ。そのそも大陸戦争の頃の記録は、ノーザリアの敗戦の歴史ということもあり、あまり遺っていないのだ。
 そのなかで拾い集めた記録から「雪の妖精」の物語を紡ぎ直すことは困難で、だからこそ現実味のないおとぎ話だけが語り継がれてきた。そしてそのほうが、この国の歴史にとっても都合が良かった。
 しかし映画監督が求めているのは真実だ。「雪の妖精」が人間であることを描きたい。その一心で探し当てた、人生のかけらを繋ぎ合わせる。
「ああ、彼女の名は」
 誰もが忘れていた名前を見つけて、映画監督は目を細めた。愛しげにその文字を指先でなぞり、読む。
それがこの物語の始まり。呼ばなければ何も始まらない。



予定よりかなり遅くなりましたが、『雪の妖精』開幕です。
今回は世界暦543年頃ですが、次回第一章からは建国より前のお話になります。
長くかかると思いますが、よろしくおねがいいたします。
posted by キルハ制作委員会 at 14:41| Comment(0) | 小ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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