2018年02月18日

雪の妖精 第一章(1)

 小さな動物を狩るための罠だということには、すぐに気づいた。父も同じものをよく作っては、それで兎や鳥、鼬の類を獲ってくる。ただ、父は罠を仕掛けるのがとても下手で、獲物がかかることは少なかった。こんなに巧妙に仕掛けるものなのだと知っていたら、もう少し気をつけて歩いたかもしれない。
「痛いなあ」
 脚に食い込む罠ばかりではない。冬の北国では、雪の上に長時間座っていることは危険だ。指先は冷たいを通り越してじくじくと痛み、やがて何も感じなくなると、壊死してしまうことも覚悟しなければならない。それくらいの知識は持っている。
 血が滲む足は、引き抜こうとすれば罠がより締まる仕様になっていて、手で外そうにも方法がわからないのでそのままだ。誰かが来てくれなければ、ここで十三年の人生は幕を閉じる。
「痛いなあ」
 こんなまぬけな最期は迎えたくなかった。どうせ死ぬなら、姉たちのように他の支配地域へ嫁に行ってからがよかった。この地域を守るための柱になれるのなら、死ぬことも仕方ない。今はそういう時代だ。
「痛くて、眠いなあ」
 眠ってしまえば目覚められない。けれども寒さは体力と意識を確実に奪っていく。もうじきこの世とお別れか、と瞼をおろしかけた。
「おい、ガキ。じっとしてろよ」
 急に降ってきた声に目が覚めた。雪のせいで足音が聞こえなかったので、いつからこちらに来ていたのかわからない。俯いていたから、周りを見てもいなかった。
 低い声のその人は、大きな体を屈めて、罠に手をかけた。瞬く間に外れた罠をぽかんと見つめていると、今度は足に触れられる。傷には布が丁寧に巻かれた。
 顔を上げて、助けてくれたその人の顔を見た。雪に焼けた肌は浅黒く、無造作に伸びた髪は赤みがかった茶色。目つきは鋭い。少し怖いが、敵ではないようだ。身を包んでいる毛皮がこの辺りの獣のものだから、間違いない。
「薬塗っといたほうがいいな。生憎俺は切らしてるから、ちょっと連れて行くぞ」
 その人は軽々とこの身を抱え上げ、背に担いだ。「ひゃ」と声が漏れるが、気にされない。そのまま連れていかれた。
 向かった先はどうやら狩りのためのキャンプ地のようで、その人の他にも三人の男がいるようだった。
「ディンゴ、何か掛かってたか」
「人間のガキが掛かってた」
 男たちのギョッとした表情が見えた。「マジか」「やっちゃったなー」という声があがる。それでも彼らは全く慌てている様子はなかった。こういうことは、珍しくないのかもしれない。
 自分を背負っている人が言う。
「罠に足をやられてる。放置するわけにもいかねぇし、薬切らしてたからとりあえず連れてきた。ラステット、傷薬寄越せ」
「はいよ。ディンゴは多めに薬持っとけって、いつも言ってるだろ」
「荷物になるだろうが。とにかく手当しろ。これからガキの家を捜しに行くから、テメェらも来い」
「了解。お嬢ちゃん、家まで道案内できる?」
 ラステットと呼ばれた男が、軟膏の包みを取り出しながら問う。頷くと、よかった、と笑った。連れて来てくれた人――ディンゴというらしい彼も、ホッとしたような表情をほんの一瞬見せた。ずっと眉根を寄せていたから怒っているのかと思っていたが、どうやら困っていたというのが正解のようだ。
 男たちが持っていた毛布にぐるぐると包まれて、再びディンゴの背中に収まる。他の者は荷物があるようで、みんな手がふさがっていたから、自然な流れだった。
――この人の背中、温かい。
 毛布のせいだけではない。さっきからずっと、温かくて心地よかった。知らない人だから緊張していたけれど、それでも離れ難かったくらいに。
 本当は、寒いのは苦手なのだ。雪の中、山をうろつくのは本意ではなかった。けれども家の働き手はほとんどいなくなってしまって、それでも家を温めるための薪は使う量が減ったりはしないから、足りなくなってしまった分を外へ探しに来た。そうして罠にかかってしまったというわけだ。
――助けてくれたし、家まで連れてってくれる。親切な人だな。
 広い背中に体を預けて、落ち着いて道案内ができた。だからなのか、それとも単に男たちの歩幅が広いためか、家にはあっというまに到着してしまった。小さな里の、小さな家だ。雪が降る前までは、すぐ上の姉もいたけれど、今では父と二人きりで住んでいる。
 父は娘が屈強な男たちと一緒に帰ってきたのを見て、目も口も大きく開いたまま動きを止めた。
「ここはこの娘の家で合っているか」
 ディンゴの問いに、父はやっとカクカクして頷いた。
「すまねぇが、俺たちが仕掛けた猟罠にはまっちまった。娘に傷をつけたことを詫びる」
「こちらはお詫びの品と、私どもが作りました傷薬です」
 いつのまに用意したのか、脇に控えていたラステットが薪と獣肉の塊、そして先ほどの薬の包みを差し出す。父はおそるおそるといった様子でそれを受け取り、それからハッとしたようにディンゴを、彼に背負われている娘を見上げた。
「傷は、深いのですか。娘の具合は」
「治すにはちょっと時間がかかる。針金が食い込んで擦れたから、もしかしたら傷跡が残るかもしれねぇ。悪かった」
 背中の荷物を落とさぬよう、ディンゴは首だけを屈めるように下げた。父は一瞬だけ眉を顰めたが、すぐに表情を緩めて、一行を家の中へと誘った。
「寒かったでしょう。ここまで娘を送ってくださり、ありがとうございました。温かいものを用意しますよ」
 お構いなく、とラステットが言おうとしたのを、別の男が遮った。鼻をひくひくさせながら「お嬢さんを降ろしてやらないと」と言う彼は、きっと家の中から漂う乳酒の匂いを嗅ぎとったのだろう。父はこれを毎日温めて飲むのが日課だ。
「おう、ガキを降ろしたらすぐ帰るぞ」
「いいえ、せっかくなので休んでいってください。さあ」
「ほら、お家の人もこう言ってくださるし」
「ベレ、お前な……。俺たちはガキに怪我させたんだぞ」
 呆れるディンゴの服を、しかし父が引っ張った。さあさあ中へ、と一行を家の中に連れ込み、そのまま室内に座らせてしまう。手際よく乳酒を用意すると、床に降ろされた娘を呼び寄せた。
「ルネ、傷とやらを見せてごらん」
 無事な足と手を使ってなんとか立ち上がり、父のもとへ行く。引きずる足は痛むが、さっきよりは大分和らいでいた。
 父は巻かれていた布を解いて傷を眺め、ほう、と息を吐いた。
「これは、きれいに治るかどうかはちょっとわからないな」
 そうして男たちに視線をやり、ひとりひとりを値踏みするように見た。この目は知っている。姉たちが嫁に行くごとに、散々見てきた。
 父はこうして相手を選び、姉たちを方々に嫁がせていった。この小さな里が戦に巻き込まれないように、この地域より南側にある四つの地域――それぞれが領土を奪い合い戦争中だ――に一人ずつ。最後に残ったのが、末娘のルネだった。
 姉たちが無事でいるかどうか、ルネは、父ですら、知らなかった。
「どうぞ夕食も食べていってください。あなた方が持ってきてくださった肉です」
 父はにこやかに男たちに語りかけ、彼らを引き留めた。ディンゴは固辞しようとしていたが、ベレという彼らの中でも若そうな男が「お言葉に甘えましょうよ」と留まったのだ。仕方なく座り直したディンゴを見て、ルネは少しホッとした。この温かい人と、もう少しだけ一緒にいられる。
 同時に父の様子を、少し不気味に思っていたのだけれど。知らないふりをして、夕食の準備を始めた。干した野菜を雪を溶かした水で戻し、父が切り分けた肉と一緒に火にかける。この辺りでは、肉を切るのは男の役目だ。
「ルネちゃんはいくつ? 十歳くらいかな」
 ベレが尋ねるので、ルネは戸惑いながら「十三です」と小さく返事をする。たぶん、十三だ。生まれた時の記録をしておらず、だいたい一年が経った頃に柱に傷をつける、それが里での年齢把握の方法なのだった。父が毎年刻んだ柱の傷は、姉たちの分は嫁いだ年で止まっている。
「十三歳かあ。もっと小さいのかと思ってた。もう子供は産めるの?」
「よせよ、ベレ」
 何の遠慮もないベレを、ラステットが窘める。そしてルネには、「答えなくていいからね」と慌てて言った。そうでなければ、ルネはあっさりと「もう産めます」と答えていただろう。初潮は夏、まだ姉がこの家にいるときで、毎月のことだからと対処は一通り教わっていた。以降は子供をつくることができるということも。
 子供を産み育てることは、今の里、ひいてはこの北の地域に住む人々全体にとって重要なことだった。長い戦の只中にあり、どんどん人が死んでいくこの時世で、少しでも人手を増やす必要があった。幸いにして食料に困ることはあまりなかったから、人口は多ければ多いほど良かった。
 そして生まれてくる子供は、より強い血を引いていることが求められた。
 ルネと父、男たちは、出来上がった食事に手を付ける。塩と野菜と肉の出汁の味が、ディンゴの眉間のしわを緩めた。
「うめぇ」
「干した大根が良い。塩加減も丁度。こんな美味しいものをありがとうございます」
「あなた方のくださった肉で作った汁物です。礼には及びません。野菜の良い干し方ならルネがよく知っていますよ、姉に叩き込まれているので」
「へえ、ルネちゃん、お姉さんがいるんだ。で、お姉さんはどこに?」
 きょろきょろと部屋を見回すベレを、ラステットが小突き、ディンゴが睨む。その隙にもう一人の男――歩いているときにカルバと呼ばれていた――がベレの持っている器から肉を盗んだ。賑やかな人たちである。
「この子の姉たちは、嫁に行きましたよ」
「なーんだ。ルネちゃんが可愛いから、きっと美人なんだろうね」
 そう、自慢の姉たちだった。もう会えないのが残念なくらいに。
「この子もそろそろ嫁にやろうと思っていたんです。こう見えて、もう年頃ですから。できれば強い殿方に……」
 ちら、と父が男たちを見る。姉たちが遠くに嫁いだ今、残ったルネには重要な役割があった。この里を守るため、最後にしなければならないこと。それは。
「よろしければ、この子を嫁にもらってくださいませんか」
 地元の強い男に嫁ぎ、この里を優先的に守らせること。そして強い子供を産み、育て、味方を増やすこと。父からずっと言われてきたことだった。この家には娘しかいないから、里を守るためにはそうするより他にないのだと。
「嫁? こんなガキを?」
「幼く見えますが、もう子供も産めます。立派な女です」
 先ほどラステットが気を遣って言わせなかったことを、父はあっさり口にした。ルネは俯いて、客らと父の椀に汁物のおかわりをよそう。
「この子の四人の姉は、敵方に嫁がせました。東、西、中央、南にまで嫁に出したんです。親戚がいれば、この里に手出しはできないでしょう。仕上げはこの子が、この地の強い殿方と一緒になってくれること。娘を差し上げますから、どうぞこの里をお守りください」
 父はそう言って頭を下げた。ルネは父を見、それから男たちを見た。ラステットとカルバはもちろん、軽薄そうだったベレまで戸惑いの表情を浮かべている。唯一、ディンゴだけが再び眉間にしわを寄せていた――今度ははっきりと、怒っているのだとわかった。
「……なんてことしやがる」
 重く低い声が室内を這う。ルネだけではなく、父までもがびくりと肩を震わせた。
「親戚だとか、この状況じゃ関係ねぇ。むしろ他所者は嬲り殺される可能性だってあるんだ。そんだけ領土争いは切羽詰ってる。嫁にやるなんて冗談じゃねぇよ、姉妹同士でいがみ合わせる気か!」
 獣が吼えるよりも激しく、ディンゴは怒鳴った。声の振動が伝わって家が揺れたように感じたほど、その迫力は凄まじい。父は後退り、ルネは頭がぼうっとなる。ぼうっとしながらも、言葉の一つ一つの意味を、確かめるように反芻した。
 この里はまだ無事だ。断片的な情報だけが外から伝わってくる。だから、認識がずれていたのだ。本当に最前線に出る人たちよりも、あまりに暢気だった。人柱を立てさえすれば、この先もずっと無事でいられるだなんて。
「それに俺たちは他の地域の奴らと戦っている。今日はたまたま猟の日だっただけだ。いつ死ぬかわからねぇのに、嫁なんかとれるかよ」
 ディンゴは言い捨て、すっくと立ちあがった。椀の中にはまだ汁物がたっぷり残っている。「行くぞ」と男たちを促すと、真っ先にラステットが、続いてカルバが、最後に汁物を一気にかきこんで椀を空にしたベレが続いた。
 こんなことは初めてだった。少なくとも、ルネが知る限りでは。姉たちを嫁にすることを、先方はとてもありがたがったと父からは聞いている。これでこの里に手出しはされないだろうと。けれども、本当にそうなのだろうか。ディンゴの話を思い返すに、それは認識の大きな誤りなのではないか。
 相手が喜んでいたとしたら、それはこの土地の娘を人質に得たということに対してなのでは。あるいはもっと酷い想像をするなら、姉たちはもう他の土地で嬲り殺されて――。
「あ、あの!」
 痛む足に構わず、ルネはディンゴの前に飛び出した。熊の毛皮でできた外套にしがみつき、やぶ睨みの眼を見上げる。機嫌が悪そうだ。でも、怖くない。この人は、自分を助けてくれた人だ。酷いことはしないはずだ。
「あぁ? 何だよ」
 他の姉たちがどうなっているのかはわからない。でも、せめて自分だけは生き残って、この里を守らなければ。とても小さいけれど、自分が育ってきた場所だ。人々はルネに優しく、父はもしかしたら間違っていたのかもしれないが、里を想っていたのは確かだ。ルネにはこの里を守る理由がある。
 そしてこの小さな体では難しくても、彼らならばできるかもしれない。いつ死ぬかわからないという日々の中、確かにここに生きている彼らなら。
「私のこと、嫌いですか」
 ルネはディンゴの瞳を真っ直ぐに見る。
「私、あなたのお嫁さんになっちゃ駄目ですか」
 一瞬、大雪の後のような静寂が室内を包んだ。ルネ自身、どうしてこんな言葉が出たのか、よくわかっていない。
 ただ、この人と結ばれれば父の願いは叶い、そして自分にも悪くないのではないかと、後になって思考がそこまで追いついた。
「駄目だ」
 静寂を破ったのは、ディンゴの一言だった。そっとルネの体を退けると、そのまま外に出ていってしまう。それをカルバとベレが追いかけた。
 最後にラステットが、丁寧に礼をした。
「温かいものをごちそうさまでした。ルネさん、どうか足を大事に。薬を毎日塗っていれば、傷は薄くなるはずです」
 そうして彼も出ていった。あとには腰を抜かしたままの父と、床にへたり込んだルネが残された。



雪の妖精第一章、舞台は世界暦前大陸戦争終盤の、大陸北側です。
のちにノーザリアとなる土地ですが、このときはまだはっきりとした名前はもっておらず、「北領」という漠然とした表現が広まっています。
そんな時代に生きる少女ルネと青年ディンゴの物語。これから少しずつ進めていきます。

歳の差はたぶん七つくらい。ルネがちっちゃくて十歳くらいに見え、ディンゴは少々くたびれて見えるので、もっとあいてるように見えるかも。
身長はルネ135cm程、ディンゴ180cm超を想定しています。
posted by キルハ制作委員会 at 14:49| Comment(0) | 小ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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