2018年02月25日

雪の妖精 第一章(2)

 薬はよく効いた。塗るごとに痛みは引き、傷はぴたりと塞がる。魔術みたい、とルネは思った。里でつくる傷薬も効果は抜群だけれど、沁みるし、臭いもきつい。どうしたら臭いのほとんどしない、肌に滑らかな薬ができるのだろう。里の外には、知らないことがまだたくさんある。
 昨日ディンゴたちが帰ってしまってから、ルネの意識は里の外へと向いていた。ここよりも敵に狙われやすく、しかしながら強い人々が守っているところ。戦いつつも日常生活を送る、この地域の中心部。話す言葉のアクセントの違いで、おそらくはそちらの人々だろうと推測することができた。父や自分は、中心部の人々に比べて、古代語の名残が少しばかり強いのだ。
 いつ死ぬかわからない、前線の人たち。だから嫁はとらないと言ったが、そういう人たちにこそ自らの血を引く子孫が必要なのではないだろうか。この地域を、長く守っていくために。
――なんて、理屈をつけてはいるけれど。
 薬を包み直しながら、ルネが思い浮かべるのはあのやぶ睨みだった。人相は良いほうではないかもしれないけれど、あの瞳はきれいだった。そうして、乱暴な言葉ではあったがルネの姉たちを心配してくれた。ルネを優しく助けてくれた。温かな背中に負ってくれた。
――また、会いたいな。
 今度は罠にかからずに。迷惑にならないように会いに行ったら、少しは見直してもらえないだろうか。足の具合が随分いいことも報告したい。
「どうにかしてお礼がしたいな、あの人たちに」
 こちらの考えを読んだかのように、父が言った。
「そうね」
「そしてお前を娶ってくれるといいんだが。あの紳士的な、ラステットという青年が良さそうだ。カルバという青年も、寡黙だがハンサムだったな。多少お喋りではあったが、ベレという彼も、まあ悪くはないだろう」
 どうやら父はまだ、ルネを嫁にやることを諦めていなかったらしい。ディンゴにあれだけ怒鳴られたというのに、ちっとも懲りていない。しかし自分も父のことはいえないので、黙っていた。ただ、父からディンゴの名前が出なかったことは、少しだけ不満だった。
 足の傷に触れながら、罠から救ってくれたときのディンゴの手を思い出す。傷が酷くならないよう、優しく触れてくれた手。鮮明な記憶に、胸がきゅっと締め付けられた。
――やっぱり、会いたい。会いに行こう。足が治ったら、すぐにでも。
 ルネの密かな決意は、しかし、とんでもなく固かった。
 それから四日、もう歩いても痛まなくなった足で、ルネは里の外へと向かった。前日に降り積もった雪を掻き分け、苦手な寒さを我慢して。あの温かな人に会うために。
 地域の中心部のことを、里の人間は「街」と呼んでいる。街には里よりもずっと多くの人がいて、けれどもそのほとんどがこの地域を守る兵士だった。街は兵士たちのつかの間の安息の場であり、帰ってくる場所だった。
 里では手に入らないものでも、街に行けば見つかることがあった。そのため、ルネも何度か街には父や姉とともに来ている。だが、独りで来るのは初めてだ。道に迷わなかっただけでも奇跡である。街はちゃんと、ルネの歩いて行った方向にあった。
 雪の積もった家々の屋根、煙突から流れてくる暖房と煮炊きの煙。一際大きな施設は、兵士たちが休憩する宿舎だ。この地域の至る所から人を集めて、ここに寝泊まりさせている。街出身の人間は自分の家を持っているが、ディンゴたちがいったいどのような経歴の人たちなのかを、ルネは知らない。まずは宿舎をあたってみるのがいいだろう。
 と、思ったのだが。その前に、長距離の移動に耐えかねた足が痛みだした。せっかく治りかけていたのに、無理をして雪の中を歩いてきたものだから、傷が刺激されてしまったのだ。堪えながら宿舎を目指したが、あと少しのところで膝をついてしまう。傷のないほうの足に力を込めて立とうとしたが、こちらには疲れが溜まっていた。知らず知らずのうちに、負傷した足を庇って歩いていたのだ。
「こんなところで……」
 座り込んでいる場合ではないのに。あの人に会わなくちゃ。冷たい空気を吸い込み、もう一度足に力を込める。ふらふらと立ち上がって、一歩、二歩と進む。やっとのことで宿舎に辿り着くと、扉が開いた。
「……あ? なんでお前、ここに?」
 宿舎から出てきたのは、知った顔。忘れようもないあのやぶ睨み。ディンゴと、その仲間たちだった。
 こちらを見て明らかに戸惑っている彼らに、主にディンゴに向けて、ルネはにっこりと微笑む。微笑んだつもりだ。なにしろ足が痛くて、体が寒くて、うまく笑えているかわからない。
「来ちゃいました。あなたに会いに」
 ディンゴが眉根を寄せるのが見えた。この人の眉間のしわは、なかなか深くて解けない。
 次の瞬間、ルネの体は宙に浮いた。軽々とディンゴに抱えあげられ、今度は肩に担がれる。彼の背後が見えるかたちになり、仲間たち――ラステット、カルバ、ベレの表情が目に映った。全員揃って驚愕している。
「俺、一回家戻るわ」
 すぐ近くで重低音が言う。声色は明らかに機嫌が悪そうだった。
「あと頼んだぜ、ラステット。急ぎの用事があったら来てくれ」
「あ、ああ……」
 仲間たちは宿舎のさらに向こうへ、ディンゴはそれと反対方向に歩き出す。家があるということは、彼は街に生まれ育った人間なのだろうか。家に連れていってくれるということは、ルネを嫁として認めてくれるのだろうか。担がれたまま考えていると、まもなくしてその場所に到着した。木造のしっかりとした家の、丈夫そうな扉が開かれる。
 ルネは椅子の上に降ろされた。ディンゴの顔を確かめようとするより先に、見えたのは彼の頭頂部。真っ先に靴を脱がされ、足を見られる。幾分薄くなったはずの傷が赤く腫れている、と思った瞬間。
「馬鹿か! 怪我したんだからおとなしくしてろ! なんだってこんな場所まで来たんだ?」
 凄い剣幕で怒鳴られてしまった。声の圧で吹き飛んでしまいそうなくらいに。
「あ、あの……足はとても良くなったので、お礼を」
 なんとか返事をすると、舌打ちをされた。やっとまともに見た彼の顔は、なんというか、獣も逃げだしそうなくらい凶悪だ。
「どこが良くなってんだ、悪化させやがって。親は止めなかったのか」
「父には置手紙だけしてきたんです」
「輪をかけて馬鹿だな。送ってってやるから二度と来るな」
「家には帰りません。私、あなたのお嫁さんになるために来たんです」
 ここまで言うつもりはなかった。思っていなかったわけではないけれど。でも、帰されたら本当にもう二度と会ってもらえないような気がして、勢いがついた。
 しかし凶悪な顔は崩れない。あのときの言葉をもう一度繰り返す。
「駄目だっつってんだろ。俺は兵士だ。近いうちにまた前線に行って、今度こそ死ぬかもしれねぇ」
「だったらなおさら子供をつくっておくべきではないでしょうか」
「家族はいらねぇ。俺はな、この世に何の未練も残したくねぇんだ。戦って死ぬ、それだけが生き甲斐なんだよ」
 矛盾したことを言う人だ。死ぬのが生き甲斐だなんて、それでは生きたいのか死にたいのかわからない。首を傾げるルネに、だから、と彼は言う。
「お前は帰れ。そんでもっと成長してから、真っ当な人間と家族になれ」
 彼自身も、どうやら自分はまともではないらしいと思っているようだった。
 足に軟膏を塗られ、布をしっかりと巻かれても、ルネの感じる痛みは治まらない。背負われて里に帰されると、それは一層強くなる。腫れが引いても、まだ残った。


 寒さを紛らわすための強い蒸留酒と、塩漬けされた肉、干した野菜。北国の冬では十分なご馳走だ。ありつけるのはここが北軍の本営だからで、食うや食わずの拠点もあると聞いた。支配領土をもう少し南に延ばすことができれば、もっと良い食事が十分に摂れる。そう言われ続けて何十年も、戦争は続いていた。
 発端はもうわからない。ずっと南を支配している「紫の人々」がこの北の地を呪ったからだとか、中央を名乗る勢力が大きくなりすぎたから調整をしようとしたのだとか、東と西の対立を諌めようとしてやっているのだとか、いろいろなことが言われている。つまりは、ディンゴたち若い世代には、まともに語られていない。
 戦争をしている間に北の地を統率する人間も変わり、今上にいる者は大陸統一支配を声高に叫んでいる。大きく分けて五つの勢力がある現状を、一つの代表のもとでまとめれば、みんなが平等に暮らし向きが良くなるはずだということだが、さて。
「ニオ隊って知ってるか、ディンゴ」
「なんか血気盛んな奴らか?」
「血気盛んなのは人のこと言えないけど、たぶん想像してるので合ってる。東で兵士と民間人を殺したそうだ。向こうが先に手を出してきたって、隊の連中は言ってるらしい」
 この北の地に属しているはずの者たちですら志に齟齬があるのだから、一つになるなど到底無理だろう。
 ディンゴら本営の兵士たちの多くは、無駄だと判断した殺生や略奪を禁じている。前線は相手が攻め込んで来ようとする場所であり、守るべき領土の際だ。
 しかしそうは考えない者たちもいる。相手のいる場所に踏み込み、蹂躙して自分たちのものにする、それこそが大陸統一支配への道であると考える人間が集まって、大陸の東や西、中央へ乗り込み全てを奪う。その行動は、数年前から目に余るようになってきた。
「また俺たちが嫌われるな。東は反撃に出ようとしている。もちろん向こうが動くなら、こっちも対応しなきゃならない。なんだってニオ隊なんかの尻拭いをしなきゃならないんだか」
 そう言って、ラステットは深い溜息を吐いた。
 略奪行為が本営の行動でなかったとしても、よそから見れば「北が攻めてきた」ということには変わりない。一部の逸脱行為のせいで、北軍は大陸の主な勢力の中でも特に嫌われものになっていた。北の横暴を許すものかと、「正義」に燃える他領の兵士が対策を練って攻め込んでくる。
 そういう者たちを蹴散らすのは、逸脱行為を働いた当人たちではなく、本営の兵士の仕事だった。
「近々、東とは熱い戦いを繰り広げることになりそうだな」
 ベレが皮肉たっぷりに言い、杯を傾ける。カルバが頷き、肉を齧った。
「……東の、兵士なら。研究ができてる」
「カルバ、口に物入れて喋るのは行儀が悪いぞ。厄介なのが西と、あと中央だ。西の徹底的な人民の統制で、他地域の血筋の人間が迫害されてる。それに異を唱えた者は中央に流出し、あの赤髪……リックはそいつらを全部受け入れている」
 西と中央の動きは、今に始まったことではない。ここ数年で顕著になったというだけだ。中央が勢力を拡大しているというのは、難民を受け入れて味方につけ、これだけの人間を抱えているのだから領土がもっと必要なのだと主張しやすい状況にあるということだった。
「中央の統率力は、こっちとは比べものにならない。リックっておっさんはやり手だよな」
「負けたらあっというまに主導権握られそうだ。俺たちの有利にことを運びたいなら、乗り越えなきゃいけない最大の壁なんだろうな。ディンゴはどう思う?」
 ベレとラステットと、カルバも少し。仲間たちが喋っているあいだ、ディンゴはある点にずっと引っかかっていた。自軍の東への侵略。西の徹底統制。これによって危険にさらされる人間がいる。
「……あのガキ」
「なんだ、上の空だと思ったらあの子のこと考えてたのか。ルネちゃん、だ」
「昨日、よくここまで独りで来たよな。で、ディンゴはそれを追い返しちゃったと」
「なのに気になるのか」
「違ぇよ。あのガキ、姉がみんな他所に嫁に行ったって話だっただろ。東や西では無事なのか」
「可哀想だけど、ディンゴがあの子の父親に言った通りだと思うよ。特に西では、逃げられなければ殺されてる可能性が高い」
 ラステットの即答に、ディンゴの眉間のしわがまた深くなる。――あの父親が考えを改めなければ、残った末娘は、ルネという少女は、どうなってしまうのだろう。
「やっぱり気になってるじゃんか、ディンゴ。お前の顔怖がらない貴重な女の子なんだから、嫁に貰っちまえばいいのに」
「ベレ、無茶言うなよ。あんな小さくて細くて触ったら折れそうな子にディンゴが触れられるわけがないだろ」
 笑いあう仲間たちを睨んだが、実際ラステットの言う通りだった。ルネは小さく、頼りない。体重も軽かった。十三歳といっていたけれど、十歳くらいに見える。見た目を抜きにしても、二十を数える自分に比べたら、まだ子供だ。
 いつ死ぬかわからない身で、未来ある者を預かるわけにはいかない。兵士として生きると決めたとき、この世に未練は残さないと誓った。
「でもあの子、またディンゴを訪ねて来ると思う。塩肉三枚」
「オレも乗る! また来る方に塩肉五枚!」
「それなら俺も一枚かけとく。ついでにディンゴがそれを受け入れるのにも一枚」
「お前らな、勝手に賭けてんじゃねぇよ。さすがにもう来るこたねぇって。塩肉十枚賭けていいぜ」
 来やしない。二度と来るなと言った。こんな賭けは、自分が勝って終わるはずだ。ましてラステットの「受け入れるのにも一枚」が、実現するはずはない。
 あの娘には、ディンゴに関わらずに幸せになる権利と道があるはずだ。



前回の続き、少しだけディンゴパートも入りました。
ルネさんの強いメンタルは、まだまだこれからです。

今シリーズは表現が露骨に乱暴な部分が所々あります。この時代のこの地域を表すためのものなのでご了承いただければと思います。
posted by キルハ制作委員会 at 20:17| Comment(0) | 小ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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