2018年03月11日

雪の妖精 第一章(3)

 数日後、再び街を訪れたルネを見て、ディンゴはどういうわけか「塩肉」と呟いた。
「あ、あの、今度こそ足は良くなりました」
「歩き方見りゃわかる。もう来るなっつったのに……」
 落胆の中に、安堵が見える。やはりディンゴは良い人だ。真っ当かどうかなんて、そんなあやふやなものはもはや関係ない。ルネは自分の胸に宿った感情を確かなものにしていた。
 そうするべきだからではなく、そうなりたいから願う。この優しい人の傍に、ずっといたい。
「私をお嫁さんにしてください」
「帰れ」
「家のこと、全部やります。あなたが戦いに出ているあいだ、家を守って待ってます」
「いらねぇ」
「ちょっと試してみるのはどうですか。自分が食べる分の食料は持ってきました。ご迷惑にはなりません。食料が尽きるまでにあなたの気持ちを変えられなかったら、今度は諦めます」
 我ながらしつこいと思う。けれど、これくらいしなければ彼をこの世に繋ぎ留められない気がした。死ぬために生きるのではなくて、生きるために生きてほしかった。
――私が、あなたの温かさを失いたくないの。
 今まで生きてきて、一番の我儘だ。末っ子だからいつも可愛がられて、多少のことは聞いてもらえたけれど、それよりももっと、強い気持ち。思いを込めてじっとディンゴを見つめる。目を逸らす気は全くなかった。
 どれくらい見つめ合って、いや、睨み合っていただろうか。先に溜息を吐いて目を閉じたのは、ディンゴだった。
「食料が尽きたら帰れよ」
 尽きたら。それまでは置いてくれるということで、いいのだろうか。そう解釈させてもらう。ルネは笑顔を咲かせ、それから深々とお辞儀をした。
「よろしくお願いします」
 末永く、はまだつけられない。でも、チャンスはまだある。食料はたっぷり持って来たのだ。
 かくして、ルネはディンゴの家に居座ることとなった。まずはこれまで男一人で暮らしていた部屋を掃除し、片付け、自分の生活できるスペースを作る。持参した寝袋で寝る予定だったが、ディンゴが毛布を投げて寄越してくれたので、礼を言って使わせてもらうことにした。
 家を訪れたディンゴの仲間たちは、ルネの姿を見て目を丸くした後、にやりと笑って「ディンゴ、塩肉だぞ」と言っていた。「塩肉」とは、何かの合言葉なのだろうか。首を傾げ、なんですかと訊いても、その答えだけはとうとう教えてもらえなかった。
 二人での生活は、ルネにとっては楽しいものだった。朝は早く起きて、雪をとってきて火にかけ、水をつくる。食事を持参した材料で整え、ディンゴの分は家にあったパンも添える。不機嫌そうな顔で起きてきたディンゴは、顔を洗って戻ってから、朝食に目を瞠った。
「いやに野菜が多いな」
「里から持ってきました。私が姉に習って保存していたものです」
「肉食わねぇと力が入らねぇぞ」
 ディンゴが台所に吊るしてあった肉を削り、ルネの皿にも載せてくれる。薄く切った塩味の肉と、茹でた野菜を一緒に食べると、えもいわれぬ美味しさだった。
「あの、いいんですか。お肉、あなたのお家のものなのに」
「どうせまた獲ってくるんだから、好きに食えよ。あ、お前、パンすらねぇな。野菜だけで腹いっぱいにならねぇだろうが」
「お芋があるので大丈夫ですよ」
 お喋りをしながらの朝食の後、ディンゴは身支度を整えて出かけようとした。戦いに行くのかと思うと胸が痛くなったが、それがそのまま顔に出たらしく、呆れられた。
「出かけるたびに辛気臭ぇ顔されたらたまんねぇよ。今日は作戦会議だけの予定だ。遅くならねぇから、お前は家にいろ」
「あ、そうなんですか。いってらっしゃいませ」
 ホッとして彼を見送ったら、家の仕事が待っている。使った食器の片付けに、洗濯、昨日はできなかった部分の掃除。水仕事が多いが、里にいたときからやっていることだ。手がかじかむなんて日常茶飯事、あかぎれで痛むくらいどうということはない。手際よく進めているうちに、この家の情報もいろいろ頭に入ってくる。
 今まで誰かが一緒に住んでいたような形跡はない。ほとんどのものが一人分しかないのだ。ルネが自分で自分の使うものを持ってきていたのは正解だった。貸してくれた毛布も、ディンゴが使っていたものだろう。さぞかし昨夜は寒かったに違いない。申し訳ないことをしてしまった。
 保存食は肉ばかり。野菜はルネが持ってきたものがほとんどだ。あとは酒の入った容器がある。匂いを嗅ぐだけでくらくらするような、強い酒だ。父が飲んでいたような乳酒や薄くのばした果実酒など、ディンゴにとっては水に等しいのかもしれない。
 部屋の隅には剣と盾。あれは戦いで使うのだろうか。その近くに長い針金や木の蔓など、猟の罠の材料らしきものが揃えてある。たぶん揃えてあるのだろうけれど、ルネには無造作に転がしてあるようにしか見えない。草刈り鎌は日用品だろう。
 見慣れない光景に、他人の家の匂い。この中で暮らしていくのだ――ディンゴが許してくれれば。
「私、家事の他にできることないかな」
 日々を外で過ごし、ときに戦わなければならない彼のために。家事をして待っているだけでは足りないのではないか。彼が家でゆっくりくつろげて、また帰ってきたくなるようにしなければ。そうでなくては、きっと躊躇いなく死にに行く。
 それに里を出てきたからには、街に早く馴染む必要がある。家にいろ、とは言われたが、このあたりのことを知っておいたほうが苦労は随分少なくなるはずだ。
「明日は外に出てもいいか、訊いてみよう。そして私の仕事を探すんだ」
 拳をきゅっと握り、小さく固く決意する。
 けれども帰ってきたディンゴは、ルネの外出を許さなかった。明日も家にいろと言う。
「うろちょろすんな。また罠にかかるぞ」
「こんな場所で罠を仕掛ける人なんていませんよ。私、少しでもあなたの役に立ちたいんです」
「そう思うなら俺の言う通りにしろ。余計な手間かけさせんな」
 ルネが何かしようとすることは、彼の手間になるらしい。あなたの邪魔にはなりませんから、と言いかけて、口を噤んだ。ここに身を置いていること自体が、邪魔になっているのかもしれない。押しかけてきて、拒まれてもしつこく嫁になるというルネが、彼の生活を変えてしまうのは間違いない。一人で気ままに生きてきたかもしれないのに。そうして、死にたいように死んでいくのだ、この人は。――そう考えると、申し訳なさは一瞬で一転して、腹が立ってきた。死なせるものか。たとえ過酷な戦いに向かっても、ここに帰って来たいと思わせたい。
「……明日のご予定は」
「ちっと遠出だ。帰りは夜中になるから、先に飯食って寝てろ。俺の分はいらねぇからな」
 今日もこんなに作りやがって、とディンゴがテーブルの上を見て溜息をつく。ルネが作った野菜多めの食事が並べられた食卓は、冬とは思えないほど華やかだ。ディンゴの分にはちゃんと塩肉がついていて、それもただ切り落として焼いたものではなく、ルネが持って来た香草がすりこんである特製だ。
「あんまり美味そうなもん作んなよ。このご時世に贅沢は禁物だぜ。お前の食料だってすぐなくなっちまうだろ」
「働いてきたらお腹が空くのは当然です。たくさん食べないと。外に出られないなら、私ができることはこれくらいです。姉も言ってました、殿方の胃袋を掴むのは基本中の基本だと」
 えっへん、と薄い胸を張ってみせたルネに、ディンゴはもう一段深く息を吐いてから、食卓に着いた。 それから自分の皿にのっていた肉を半分、ルネに寄こした。



もう暦は春になってしまいましたが、『雪の妖精』の続きをじわじわと。また冬が巡るかもしれない。
今回は短く、ルネさんの押しかけ女房大作戦のはじまりをお送りしました。まだまだ先は長いです。

大陸戦争のクライマックスと盛夏の頃がぶつかれば、それはそれで季節が合うのかしら。それくらいのスローペースになります。
posted by キルハ制作委員会 at 21:02| Comment(0) | 小ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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