2018年03月25日

雪の妖精 第一章(4)

 翌日、ディンゴは朝早くに――けれどもルネがもっと早く起きて作った朝食は完食した――改めて「夜中まで戻らねぇぞ」と言い残して出かけていった。さて、本当にそうであれば、丸一日暇である。家事をやってしまえばこの家の中でやることはない。針仕事でも、と思ったが、ディンゴの衣服はいずれも丈夫で破れているところなんかなかったし、刺し子ができるような端切れもなかった。里の実家には機織り機があって、植物の繊維を織り上げて布を作り、衣類を縫い上げ、植物で染めた糸で綺麗に刺し子をしたものだ。ルネも姉たちに習って、たくさんの模様を刺すことができた。
 出来上がった品は自分たちで使うよりも、街で食料や生活用品に換えることが多かった。刺し子の着物は美しく、しかも保温に優れているので、評判が良かった。特にルネの姉たちが刺したものは好評で、嫁に行くときもその稼ぎが役に立った。
「……」
 もしも、とルネは俯く。もしも姉たちがそれほどまでに稼がなかったら、姉たちは今でも里にいたのだろうか。父に言われるままに他所へ嫁ぐことなく、家族みんなで仲良く暮らしていただろうか。自分の意思で里を出てきた、ルネが考えることでもないのかもしれないけれど。
――他所者は嬲り殺される可能性だってあるんだ。嫁にやるなんて冗談じゃねぇよ、姉妹同士でいがみ合わせる気か!
 あのときのディンゴの言葉が気がかりだった。姉たちは、今頃どうしているのだろう。せめて他所の様子がわかるような情報はないものだろうか。
「外に出れば、誰かの話が聞ける」
 この家からちょっと出かければ、あらゆるものが手に入りそうだ。情報も、刺し子のできる端切れと糸も、切れかけていた塩や香辛料も。それらがなくてもいい、誰かと話がしたかった。たった一言、挨拶を交わすだけでもいい。
「少しなら、いいよね。ディンゴさん、夜中まで帰らないって言ってたし」
 上着を羽織って、そっと扉を開ける。冷たい風と、太陽に照らされてちかちかと光る雪の地面。微かに漂う煤の匂い。故郷とは少し違う、けれども似たような外の空気が、ルネを包んだ。
 そもそも家にずっとこもっているのは性に合わないのである。たとえもう一度罠にかかったとしても、きっと懲りない自信があった。
「……よし」
 家の前に残っていたディンゴの大きな足跡に、ルネの小さな足が重なった。
 街の賑わっているところは、もっと色々な匂いがした。何かを燻していたり、大きな鍋で煮ていたりを、寒いのに外でやっている。漂ってくる美味しい香りにつられるように、ふらふらと毛皮を着た男性の一団がやってきて、鍋からスープを、燻製器から肉の腸詰を貰っている。いや、何かと交換しているのだ。よく見れば、それは皮を剥いだ兎だったり、羽を毟った鳥だったりした。つまりすぐに調理に取り掛かれる状態の、猟の成果物。なるほど、あれならずっと燻製やスープを作り続けられる。
 軒先で調理をしているのは、例外なく女性だった。子供がその手伝いをしている。大人の男は大体が兵士として戦いに行ってしまうので、彼らを食事でサポートするのが女の仕事になっているのだ。きっと食事以外にも、繕いものだとか、洗濯だとか、生活のあらゆる面を支えているのだろう。家単位ではなく、地域単位での家事労働というわけだ。
「あら、お嬢ちゃん、見かけない子だね」
 感心して見ていると、声をかけられた。ずっと大鍋をかきまわしている、ふっくらとした女性。ルネよりも二回り半は年上だろうか。などと考えていたら、わらわらと近所から女性が集まってきた。のっぽの女性、小柄な女性、年齢もきっとばらばら。しかし誰もが手におたまや調理用のへら、鍋の蓋などを持ったままだった。
「ホント、どこから来た子かしら」
「まあ、綺麗な銀色の髪だこと。あなた、お名前は?」
「ちょっと待って、私、この子見たことあるわ。前に肉を交換したことがある。でも、こんなに小さかったかしら……?」
 囲まれてわいわいと騒がれるので、ルネはどこから答えていいのかわからなくなってしまう。頭の中に返事はあるのに、ええと、その、あの、しか出てこない。山の中の里から来ました、名前はルネです、肉を交換しに来たのはたぶん姉です、……と言いたいのに言えない。小さい体をさらに縮こまらせていると、後方からパンパンと大きな音がした。
 ああ、そういえば昔、一番上の姉がああして手を叩き鳴らしていたっけ。姉妹がみんなで、あれをしたい、これをしたいと好き勝手に騒いでいるときに。
「アンタたち、その子が困ってるじゃないか。いいかい、質問は順番に簡潔に、だよ。あと、自分のとこの料理を疎かにしない!」
 毛皮を着て、さらに前掛けをした女性が言う。途端に女性たちは散って、自分が世話をしていた鍋や燻製器、串焼き網を見に行った。そうしているあいだに毛皮に前掛けの女性が、ルネにずいっと近づいてくる。森の緑の髪が揺れ、美しい相貌にかかった。姉たちとは種類の違う美人だ。
「なるほど、たしかに全く見たことがない顔じゃないね。何度かここいらに来てるだろう。里の子かい」
「は、はい。ルネといいます」
「綺麗な銀髪と銀の瞳だ。ロボの集落の娘かね。あそこの人たちは狩りはあんまり上手じゃないけど、刺し子が抜群に巧い。アタシらも随分世話になってるよ。今日は一人かい? 見たところ、品物も持ってないみたいだし……」
 この人が一番お喋りなのでは、というくらい口がまわる。だが、言っていることに間違いはなかった。ルネがいた里には、他の里と区別するためにロボという名前がついている。そしてたしかに、近くの里の中では一番刺し子の技術が優れていた。
「ええと、私、品物を交換しに来たんじゃないんです。ディンゴさんのところに、お嫁に」
 言いかけて、でもまだ嫁にはなっていないんだった、ということに気づく。しかしもう遅かった。目の前の美人も、戻ってきた他の女性たちも、「嫁」という一言に即座に反応した。
「嫁? あのディンゴに?」
「ディンゴって、あのおっかない顔したディンゴで間違いない?」
「この辺のディンゴっていったら、アイツ一人でしょう。アレに、嫁? しかもこんなちっちゃい子?」
「ええ……あの強面がこんな趣味だったの……」
 散々な言われよう、引き具合である。このままではディンゴの評判を落としかねない。ルネは慌てて、手をばたばたさせながら弁解した。
「違うんです、ディンゴさんはまだ私をお嫁さんにする気はないんですけど、私が勝手にお嫁さんになりたくて押しかけてきちゃったんです! あと、私もう十三歳ですし、子供も産めますから、みなさんが思うほどはちっちゃくないです!」
 すると女性たちはぴたりと騒ぐのをやめた。輪の外側にいる人たちが、周りを確認するようなそぶりを見せる。緑の髪の女性が、人差し指を立ててルネの唇に触れた。
「そういうことは、大声で言っちゃダメ。事情は分かったけど、そういうことならなおさら、自分の体のことはむやみに他人に言うものじゃない。もちろん、困ったことがあればアタシたちに相談してくれて構わないし、できる限り協力はするけどさ」
「……ごめんなさい」
「謝ることじゃないけど、男に聞かれたら厄介だからね。特に最近は、ガラの悪い連中がこの辺にも増えてきてる。女を無理やり手籠めにしようとする馬鹿男が、どこで聞いてるとも限らない」
 女の敵はよそ者だけじゃないんだよ、とあちこちから疲れたように息が漏れる。本来味方であるはずの人々でさえ、蛮行を働いているという現実を、ルネはこのとき初めて知ったのだった。
「まあ、ディンゴなら問題ないだろう。アイツは戦うことしか考えてない。……いや、それが問題なのか。とにかく、ルネを悪いようにはしないさ。いつも一緒にいるラステットやカルバもね。ベレは……軽い男だが、悪人じゃないよ」
「そうですよね」
 それだけはっきりしていればいい。ルネは胸をなでおろし、それからより多くの情報を引き出そうと、女性たちとの会話を続けた。
 緑の髪の女性はリンといい、この辺りの女性たちをまとめているという。女手一つだけでは賄いきれない部分を、二つ、三つと合わせて協力して生活をしているのだ。食事担当、洗濯担当など、女性たちは戦いから帰ってくる男性たちの身のまわりを世話してやりながら、自分たちも生きているのだった。
 リンは兵士たちが集う宿舎の料理番をしているのだという。同時に女性たちに仕事を紹介し、生活の知恵を貸す。彼女がいなければここに住む人間はとてもやっていけない、と誰かが言うと、リンはにっこり笑った。
「私がいなくても、誰かがやるだろうよ。今はたまたま私がここにいるだけだ。そうだ、ルネにも仕事を紹介してやろうか。ディンゴがいないあいだ、暇だろう」
 こちらの事情もお見通しだ。リンは少しだけ考えるそぶりを見せてから、いくつか質問をした。料理はできるか、刺し子はできるか、掃除は得意か。全ての問いに、ルネは「はい」と答えることができた。
「さすがロボの娘だ。よし、アンタには宿舎の仕事を手伝ってもらおう。男どもの飯を作ったり、床を整えてやったり、汗臭い服を洗濯してやったりする、特別忙しいやつだ。わからないことがあったらアタシたちに遠慮なく訊きな」
「はい! ありがとうございます!」
 嬉しかった。ルネは街で、人々の役に立てるのだ。家の中で暇を持て余すことなく、たくさんの人と関わりながら仕事をし、ディンゴの帰りを待つことができる。家ももちろん守る。胸に使命感という焔がめらめらと燃えた。
「じゃあ、さっそく職場案内だ。ついでに今日の夕飯の準備も手伝ってもらうよ」
 リンに連れられて、ルネはまた一歩踏み出した。
 宿舎は食堂になっている大ホールと、その奥の大部屋がいくつか並んでいるところに分けられる。大部屋には、兵士たちが雑魚寝する。今も何人かが横になったり、何やら難しい顔をして会話をしたりしていた。
「ニオ隊、こっちと拠点を行き来しているらしいな」
「本営兵としてどう扱うべきなんだろうな。東でやったことを罰するべきなのか……」
 東、と聞いてドキッとする。何があったのだろう。姉は無事だろうか。気になってよそ見をすると、リンに「あんまり見るんじゃないよ」と声をかけられた。
「兵士たちは、いろんな情報を持ってる。そしてアタシたち宿舎で働く人間は、どうしてもそれが耳に入ってしまう。敵方に情報が漏れたとき、真っ先に疑われるのはアタシたちだ。面倒は避けるに限るよ」
「疑われるって……何もしていなくても?」
「ただいるだけで、アタシたちはスパイ疑惑をかけられる。誰が世話してやってると思ってんだい、って言い返してやったことも何度かあったけど、それでも状況が良くなったためしはないね。アタシが守ってやれなかった子もいる。そういう子は前線基地に引っ張っていかれて、戻ってきたことがない」
 気を付けな、と言うリンの横顔は、悔しそうにも悲しそうにも見えた。前線に引っ張っていかれた子がどうなるのかは、教えてくれなかった。戻らないということは、生きている可能性は低いのだろう。少なくともリンはそう見ている。
「宿舎はこれで全部。みんなで作業を分担する。楽なことはないけど、死ぬほど大変ってわけでもないよ。どうだい、やれそう?」
 さっきまでの話などなかったかのように、笑ったリンが振り返る。ルネは慌てて自分も笑顔を作って、「はい」と元気に答えた。
「すぐにでも仕事を覚えます。何からやりますか」
「そう焦らない。今日は夕飯の仕込みを手伝ってもらう。よく出る酒の種類も一緒に教えるからね」
 頑張りな。背中をばんっと叩かれると、背筋が伸びた。
 大鍋をかき混ぜながら、塩の分量や酒の種類を教わった。どちらも食事には欠かせない。肉と酒は兵士たちの毎日のエネルギー源だ。少し時間が空いたら、座って休んだ。一緒に働いている女性たちとお喋りをし、その流れで端切れと糸をもらえることになった。見せてもらった糸は、野菜の汁で染められているもので、どれも淡い色をしている。
 たった一日の仕事だが、頭の中は新しい知識でいっぱいになり、体はくたくたになった。日が暮れてから女性たちと数人で一緒に帰り、ディンゴの家を温めながら賄いを食べ、片付いたら刺し子をする。ディンゴの言いつけは破ってしまったが、素晴らしい時間だった。こうなったらきちんと話をして、働くことを許してもらわなければなるまい。
「それに……信用してもらって、話を聞かなくちゃ」
 仕事をしているあいだに聞こえてきた、不穏な言葉の数々。東の人々をこちらの兵士が襲ったという話などの真相を知って、姉の無事を確かめたい。今のルネには、ここにいるたくさんの目的があった。



すっかり春めいてますが、雪の妖精続きです。
ルネさん、街の女たちと働く。先に外堀を埋めていくスタイルです。
次で第一章終わりの予定ですが、第二章の時期は見えてません。
posted by キルハ制作委員会 at 13:32| Comment(0) | 小ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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