2018年10月07日

目指した場所にあったもの

エルニーニャ王国軍中央司令部――それが私の職場だ。国軍の統率を担い、頂点には大総統がいる。我々はその人のことを「閣下」と呼び、日々その指揮に従って行動している。
私が軍に入隊した頃、現在の閣下はまだ尉官だった。同期の仲間たちと連れ立って任務に行き、ほぼ確実に遂行する、後輩たちにとっては憧れの存在であり目標であった。私が入隊する前年に起きた大きな事件の中心にいたとも噂されている。事件の全容が明らかではないので、噂に留まるが。
他の多くの同期たちがそうだったように、私も彼らを尊敬していた。いつか彼らのように、信頼できる仲間とともに国を守る存在となるのだと、鍛錬に励み仕事に邁進した。そうしているうちに彼の目に留まったのは、人生で上位に入る幸運だろう。
「自主訓練、頑張ってるね。昨日もいたでしょ」
練兵場で剣を素振りしていた私に、その人は声をかけた。そして緊張しながら返事をした私の頭を、ざりりと撫でた。気合を入れて剃った五分刈りの手触りを、どうやら彼は気に入ったらしい。手を離さないままで、私に話しかけ続けた。
「君、名前は?」
「はっ! マインラート・トーリスです! 軍曹です!」
「階級はバッジ見ればわかるよ。でもまあ、すぐに上がっていけそうだね。もうちょっとこっち側に来たら、オレと一緒に働いてもらおうかな」
単なる挨拶や世辞で構わない。その言葉だけで感激だった。しかしこの程度で舞い上がってはいけないという気持ちで、私はつとめて冷静に礼を言った。
「ありがとうございます!」
「声大きいなあ。ますます気に入った」
最後に私の頭をもう一撫でして、当時のレヴィアンス・ハイル中尉は「またね」と笑って去っていった。

それから月日は流れに流れ、現在の私は准将の位にいる。階級を示す白バッジは毎晩寝る前に国章とともに磨き、その輝きの持つ責任を噛み締めるのが日課だ。
私をこの地位に就けたのはもちろん、レヴィアンス・ゼウスァート大総統閣下だ――大総統になったときに、彼は名乗る家名を変えたのだった。しかし名前が変わろうと、立場がどんなに上になろうと、その人の姿勢は基本的には変わっていない。
「マー坊、おはよう! 元気?」
「おはようございます、閣下! 体調は今日も問題ありません」
「そっか、良かった。結構長く事務室の面倒見てくれてるから、胃を痛めてるんじゃないかと思って」
「心配事がないわけではありませんが、あれくらいでへこたれはしません!」
会えば声をかけてくれる閣下は、二度目に会った日から、私を「マー坊」というあだ名で呼び続けている。私としてはいつまでも子供扱いをされているようで、複雑な心境ではあるのだが。
あの後、階級の上がった私を、彼は本当に直属の部下にした。とはいえ彼と私の間には大きな差があり、私はいつも彼が率いる人々に付き従っていた。大したことのない存在だったはずの私に、しかしながら彼はよく気を配ってくれた。どんなに小さな仕事でも、彼から指示されたものは嬉しく、全力で取り組んだ。
そして今でも、私は閣下から仕事を任されると、胸が躍るのだった。――その瞬間は。
「おはよう、諸君!」
閣下との挨拶を終えて、私は仕事場である事務室に向かった。本来は将官室に席を持つ身であるが、とある事情で佐官以下が集められている事務室で働いているのだ。声を張り上げるとそこかしこから、元気な、あるいは眠そうな、朝の挨拶が返ってくる。
「おはようございます、トーリス准将」
「リーゼッタ、おはよう。どうした、目の下が黒いぞ。寝不足か」
「ええ、まあ……。今日の午後から任務があるので、その資料を読んでいたら遅くなってしまって」
「いかんな、寝不足は判断力を鈍らせる。中休みにでも少し寝るといい」
「それができればいいんですが」
苦笑しながら頭を掻くのは、私の初めての直属の部下だ。ルイゼン・リーゼッタは、入隊してすぐに私の下につけられた。真面目で素直で努力家で、今ではすっかり立派な中佐となった。大佐になる日も近いだろう。
入隊したばかりの少年だった彼を、私の部下にと推薦したのは、もちろん当時のレヴィアンス・ハイル少佐だ。リーゼッタは入隊前から可愛がっていた弟分のようなものなのだと言っていた。翌年になると、部下はさらに増えた。リーゼッタはともかく、後で入ってきた三人は扱いが大変で、それは今でも変わらない。
「イリス、午後から任務だろう。午前のうちにこの書類を片付けて、僕のところへ持ってきてくれ」
「ええ、ちょっと量多くない? ねえフィン、これ本当に今日の午前中じゃないとだめ?」
「君の作業効率を考えると、帰ってきてからでは遅い。メイベル、君も手伝ってやってくれないか」
「手伝いたいが、生憎、下級兵訓練という非常に面倒な仕事が入っている。それをしなくていいなら可能だが……そういうわけでルイゼン、訓練のほうは他の奴に押し付けてもいいか」
「よくない! メイベルはメイベルの、イリスはイリスの仕事をちゃんとやれ」
「はーい」
「融通の利かないリーダーだな」
リーゼッタに一年遅れて入隊してきた、イリス・インフェリア、メイベル・ブロッケン、フィネーロ・リッツェの三名は、私では制御できないものとして半分諦めている。なにしろリーゼッタのいうことしか聞かない場面が多々あり、私はしばしば存在を忘れられるのだ。
インフェリアには足蹴にされたこともある。不可抗力ではあったし、後で謝罪はあったが、あまり上司扱いはされていないと思う。
リッツェは大人しそうに見えるが、そもそも私を含めて他人にはあまり心を開かない。
ブロッケンは言わずもがなだ。最初から信頼できる者以外には邪魔者であるかのような態度をとる。
彼らが不思議とまとまっているのはリーゼッタの尽力のおかげだと、私は暫く思っていた。だがリーゼッタはインフェリアのおかげだという。彼女が中心となって、班ができているのだと。
部下で後輩だと思っていたリーゼッタは、いつのまにか一班のリーダーとして独り立ちしていた。――という認識も実は間違いで、リーゼッタ以外は私が直属の上司であるとみなしてもいなかったことが、最近になって判明した。
それでも私は、彼ら全員の面倒を引き受けたつもりでいる。閣下から仰せつかったのだ。「あいつらをよろしくな」と。
「休めるといいな、リーゼッタ」
「そうですね、期待はしてません」
今のところ私には、騒がしい班員の中に戻っていくリーゼッタを見守ることしかできないが。

ところでそのリーゼッタ班だが、最近になって新たな班員が加わった。西方司令部から異動してきたカリン・ブロッケン准尉は、その名の通りメイベル・ブロッケンの妹だ。ただし、まるで似ていない。私にもごく自然に上司として接してくれる。
「トーリス准将、先日の任務の報告書です。よろしくお願いします」
「早いな。もう少しかかると思ったが」
「わたしは他のみなさんより時間があるので……。特別早いわけじゃないです」
しかも事務仕事が得意らしい。リーゼッタの班は、どちらかといえば現場のほうが得意で、あまり事務仕事に向いていない。リーダーであるリーゼッタすらも例外ではなく、また同じ姉妹なのにメイベルのほうは私に対してはやる気を見せない。真面目に仕事をしてくれるリッツェは閣下の指示で情報処理室に入り浸っていて、なかなかこちらに戻って来ず、インフェリアは閣下に直々に鍛えられているはずなのに、書類の処理はいまだに不得意らしい。ブロッケン准尉の存在はリーゼッタ班にとどまらず、この事務室において貴重な存在だった。
「班の仕事は一通り終えましたけれど、お手伝いできることはありますか?」
「それでは、資料に見出しをつけてくれるだろうか。きっと君のほうがわかりやすく仕上げられるだろう」
「かしこまりました。たぶんお姉ちゃん……大尉に教わったのが見やすいと思うので、それでやってみますね」
そう言って、カリン・ブロッケンは微笑む。彼女の中では姉の評価は高く、よくこうして褒めている。私はそれを通して、メイベル・ブロッケンの長所を今頃になっていくつか知ることができていた。いつになっても新しい発見というものはあるようだ。
彼女が加わることになったいきさつを思うと、今こうしてリーゼッタ班の一員として働いていることが感慨深い。鼻歌を歌いながら机に向かう姿に、私は口には出さずに「良かったな」と投げかけてしまう。
そのいきさつは、私が将官室から事務室へと派遣された原因でもあり、この中央司令部に起こった大きな事件でもあった。それによってリーゼッタとリッツェ、インフェリアは静養のためにしばらく休むことを余儀なくされたほどだ。
だが、ああしてすっかり元気になった。乗り越え、進み、毎日を過ごしている。心に何か抱えていたとしても、それを表に出すことはない。そんな彼らを見て、私は日々安心していた。

「ただいま戻りましたー」
伸びをしながら、インフェリアが夕日の射しこむ事務室に帰ってきた。ブロッケン姉妹が「おかえり」「お疲れさまです」と口々に労う。一緒に任務に行ったはずのリーゼッタの姿はない。閣下に呼ばれているのかもしれなかった。
リーゼッタ班は、この中央司令部でも特殊な存在だ。私は彼らの上司だが、彼らが特別に任されている諸々の全てを知ることはない。ただ一つ確かなのは、閣下が彼らに直々に仕事を任せることが非常に多いということだ。
それを贔屓という者もいる。それで間違いはないのだろう。ただ、完全に正しいともいえない。私は閣下を尊敬し慕っているが、あの人のやり方が多少強引であることは否定できない。使いやすい駒を育てて自らの武器にし、陣地を整える――それがレヴィアンス・ゼウスァートの指揮だということは、彼を長年見ていてようやくわかりかけてきたつもりだ。
リーゼッタにリーダーの資質を見出し、育てる。リッツェはおそらく諜報に長けた人材にするつもりだろうし、ブロッケン姉妹はその実力を発揮すれば強力な兵士になりうる。そしてインフェリアは、自らと同じ歴史を背負った軍家の人間として立場を利用し、さらには彼女自身の持つ能力を正しく使えるようにするため側近としている。閣下には閣下の考える、完璧な布陣というものがあるに違いなかった。
それが周囲からどう思われようと、あの人は突き進むのだろう。そして全ての責任を背負い、けっして逃げないのだろう。そういう人だ。
「インフェリア、戻ったならまず報告をしろ」
「はい。ええと、今回の調査は成果アリです。あとでレヴィ兄、じゃない、閣下から次の指示があると思います。今ゼンが……リーゼッタ中佐が直接報告しに行ってます」
私に告げられる曖昧な内容は、つまり、この件は閣下自らが動いているものだから、まだ私の出番はないということを示している。私は閣下が動けと命じたときに、ようやく詳細を知ることができる。
それに対して異を唱える者もいるが、私はあくまで閣下のやり方に従うつもりだ。彼に出会い、一緒に働いてもらおうと言われたあの日から、考えは変わっていない。
「ご苦労だった。疲れているのかもしれないが、上官の呼び方には気を付けるように」
「はーい、すみませんでした」
だからこの態度も、溜息ひとつで許すことにしているのだ。

後日、インフェリアが言っていた通りに、閣下から中央司令部全体へと命令が下った。任務は、裏社会で大手を振るう犯罪組織を潰すこと。組織は危険薬物を取り扱っているということだった。危険薬物の製造や流通は裏組織の主な犯罪であり、他の様々な犯罪とも繋がっている。私が最近になってリーゼッタとともに取り組むようになった、人身売買関連案件にも当然関わりがあった。
司令部内が準備に追われる最中、私は閣下から呼び出された。久しぶりに大総統執務室の扉を叩き、招き入れられる。この瞬間は、いつだって身が引き締まる。
室内には先に呼ばれていたのか、インフェリアが事務室にいるときよりも険しい表情をして、ソファでバインダーを広げていた。その向かいには将官室長であるタスク・グラン大将。そして奥には、大総統補佐であるレオナルド・ガードナー大将。本来執務机にいるはずの閣下の姿はなかった。
「マインラート・トーリス准将、参りました。閣下はどちらに?」
「いらっしゃいますよ、すぐそこに」
ガードナー大将が指し示した方向には、執務室備え付けのキッチンがある。そちらの方からは、香ばしい匂いが流れてきていた。
ああ、そうか、と私は理解し、改めて背筋を伸ばす。今回の仕事は、本当に大物なのだ。閣下が緊張して、自らコーヒーを淹れるくらいには。
「お、マー坊。来てくれてありがとう」
キッチンから顔を覗かせた閣下は、普段と変わらないように見える笑みを浮かべていた。普段の呼び方、普段の口調。行動だけが、その内面を表している。
「ちょっとね、思ってたより大変な仕事になりそうだから。メインとは打ち合わせをしておかなくちゃと思ってさ」
「メイン、ですか」
「そう。今回の裏組織検挙、一番大事な部分を任せたい」
ガードナー大将が閣下からコーヒーカップの載ったトレイを受け取り、静かに配置にかかる。閣下は礼を言ってから、私に向き直った。
「どうも奴らが扱ってるのは、薬物だけじゃないみたいでね。薬の効能を試すには、被検体が必要でしょ」
「……もしや、それは動物ではなく」
「人間の子供である可能性が高い。人身売買ルートで集めたのか、それとも直接誘拐したのか、はたまた組織で育てていたのか……それは定かじゃないけど、彼らを可能な限り保護する必要がありそうだ」
インフェリアも同席しているのは、彼女が尉官ながら大総統補佐であるという、それだけの理由ではなかったというわけだ。彼女には組織に育てられた人間が起こした事件について、苦い記憶がある。それも、そう遠くなく。
「現場の総指揮は、タスクに頼むことにした。で、被験者たちを保護するのは」
閣下がこちらへ歩いてくる。一歩一歩をしっかりと踏みしめて、私の眼前で止まった。右手をそっと持ち上げ、私の肩を叩く。――かかっているのは、単なる手の重みだけではない。
「マインラート、お前にリーダーを任せたい。補佐にはルイゼンをつけるよ、もう話はしてある」
はっきりと私の名を呼ぶその声を、耳に、脳に、刻み込む。いつかのような階級の差は、なくなったわけではないけれど、もう随分と縮まった。私は、閣下とともに働くことができる。あなたの手足になれる。
「拝命いたしました」
返事をすると、閣下は笑った。これが正しい道だとでもいうように、不敵に。
それは私が昔から憧れる、絶対の勝利を約束する表情だった。
「今回は特別措置として、イリスとメイベル、カリンの面倒も見てもらうよ。フィネーロが情報をまとめてくれているはずだから、確認しておいて。大変な仕事になるぞ」
「そうですね、間違いなく」
ああ、忙しくなりそうだ。



お久しぶりです。いろんなものをほっぽったままではありますが、できるものからということで、今回は子世代アフターの脇役マー坊ことマインラート・トーリス准将の視点からのお話を。
最終話から半年ほど、「秋晴れ〜」と近い時期だと思われます。イリスたちは元気にやっていますよ。
posted by キルハ制作委員会 at 14:18| Comment(0) | 小ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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